アカハネ通信

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軟式野球の県選抜「チームながの」は24、25日の北信越国民スポーツ大会(石川)で10月の国民スポーツ大会(佐賀)の出場権獲りに挑む。6月の県選考大会、天皇賜杯県予選から選抜したメンバーは16人。3年連続の全国切符をつかむため強化練習、強化試合を重ねてきた。

期待の右腕・三沢

ポイントになるのが投手陣。エース八幡宥喜(ルビコン)が故障で外れ、台所事情が苦しいからだ。替わって登録された左腕・宮島右京(フリーチベット)、ベテランの池田秀弥(長野松代総合病院)、新顔の三沢直也(ルビコン)と左腕・原田健太(マナテック)の4人で構成。硬式の長野好球倶楽部でもプレーしている宮島は昨年もメンバー入りしたが試合当日の故障で出場できなかった。33歳の池田は要の遊撃手としてけん引役を務めていたが投手としては初選出。三沢と原田は今季から軟式に転向した新戦力で、4年後の開催が決まっている「信州やまなみ国スポ」に向けても期待される。経験値は低いが。そろって相手側にデータがないのも強みとなる。

三沢は辰野町出身。東京都市大塩尻から福井工大を経て信州に戻ってきた。バランスの良いフォームから投げ込む最速146㌔の速球で押し込みながら多彩な変化球も交えて打ち取っていく。村山賢治監督(セイコーエプソン)も「コントロールが良く、まとまっている」と評価している。軟式は小学生以来となるため、「腕だけで投げてしまうので、どれだけ下半身を使うか」と日々修正中。チームながのについては「長野の代表は凄く光栄なこと。いろんなチームの人と野球させてもらって、1年目から凄い勉強になる。いろいろ吸収させてもらっている」と喜びを感じて参加。「とりあえず腕振って投げていく」と捕手のミットだけに集中するつもりだ。

多彩な経験を持つ左腕・原田

 

原田は神奈川県出身。松本大で活躍後、BC新潟で3年間プレーし、結婚を機に軟式野球部のある県内企業に就職した。こちらも軟球を握るのは小学生以来だが、「そんなに変わりはない」と違和感はなし。スライダー、チェンジアップ、130㌔後半の直球のコンビネーションで打たせて取っていく。宮島、内野手の今井凛平と松本大出身組がチームにいることで「やりやすい環境」と溶け込むのも早く、「本当に楽しい。レベルの高い野球ができる」と歓迎。村山監督は「技巧派だがボールに力がある」と認めている。

参加5県のうち4県が代表切符を得られる。例年よりハードルは低いが、代表決定戦となる武内プレス(富山)との初戦で“決着″をつけたいところ。集まった精鋭たちが一丸となって企業チーム主体の他県代表に挑む構図。6位となった2019年以来の全国入賞を目標に掲げるチームが最初の壁を突き破れるか。

 

 

いつも大変お世話になっております。

先日、回線状況不安定でしたが本日より回線復旧いたしましたのでお知らせいたします。

大変ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ございませんでした。

何卒宜しくお願いいたします。

12日に閉幕した社会人野球のJABA長野大会は、かつてTDK千曲川を率いた佐藤康典監督が指揮するTDK(秋田)が初優勝を飾り、10月末に開幕する日本選手権切符を獲得した。7月末の都市対抗を制した三菱重工East(神奈川)ら強豪が集結した中、今季からENEOS(神奈川)にヘッドコーチ(HC)として復帰した岡谷南出身の宮沢健太郎さんも雄姿を披露し、日本一奪回に向け本格的なスタートを切った。

ベンチ最前列でサインを出す宮沢HC

初の夏開催となった長野大会に、懐かしい顔が戻ってきた。ENEOSの宮沢HCだ。高校時代に甲子園とは縁がなく一般入試で明大に進むと最終学年でスタメンに名を連ねて主将を務め、社会人入り。11年間の現役生活のうち、大久保秀昭監督に請われて7年間の長きにわたって主将の重責を担った。抜群のリーダーシップで08年に都市対抗制覇、12年は都市対抗と日本選手権の2冠に貢献。堅い守りの三塁手で6,7番が多かった打撃では無類の勝負強さを発揮し、戦後の社会人野球で唯一の都市対抗、日本選手権、スポニチ大会の3大大会で首位打者を獲得。劣勢でも四球をもぎ取って流れを変えるなど、確かな存在感を放った。

13年限りで引退してからは社業に専念。支店の営業部門からスタートし、近年は同期入社組に追いつき、本社でグループリーダーを支える中間管理職のチームリーダーとして働いていた。「もう一回やりたい。声がかかったら戻りたい」。野球への思いが膨らんでいたところに、慶大監督を経て19年から再び指揮を執っていた大久保監督のラブコール。家族の了解を取り付けて今年1月1日付で野球部に復帰、用意された肩書はHCだった。

「選手の顔も知らない。野球も進化していて、戸惑いがあった」中で戻ったチーム。打線の看板だった渡会隆輝がDeNA入り、山崎錬が引退するなど変革期を迎えていた。大久保監督と二人のコーチの間に入り、新たな戦い方の構築に着手。2月のキャンプから「距離を見極めて、人を見ながら伝える方法を続けてきた」という。都市対抗は西関東第2代表で5年連続出場を果たすも2回戦で敗れ、頂点に立ったのは西関東第1代表の三菱重工East(神奈川)。悔しい結果を受けて臨んだ長野大会から若手に切り替え、宮沢HCは攻撃の指揮を任された。大久保監督にならってベンチ最前列でサインを出し、イニング間に気づいたところを手帳にメモした。ベンチからは絶えず「つないでつないで全員で」「守備から守備から」と声が飛んだ。甲子園の優勝経験者、学生日本代表らアマ球界のエリートがそろうが、1個の進塁、1個のアウトにこだわりながら「泥臭く、ガッツがあって、諦めない」スタイルを共有。「チームとして結果を残したい」と挑んだが、4強止まりで長野大会は終了。9月の日本選手権最終予選が次のターゲットとなった。

70番を背負って復帰した宮沢HC

ユニホームには都市対抗優勝回数を示す12個の星が並ぶ

復帰に際し選んだ背番号は現役時代の「7」と離れていた10年間を合わせた「70」だ。ユニホームの左袖に都市対抗の優勝回数を示す12個の星が並ぶ。「勝ちを求めていく中でどう盛り立てていくか。野球で培ったもの、仕事で培ったものを還元したい」。来年夏、東京ドームで22年以来の日本一に輝くため社会人屈指の名門を支える“中間管理職″が奮闘を続けていく。

◆宮沢健太郎(みやざわ・けんたろう)1980年(昭55)7月26日生まれ、岡谷市出身の44歳。明大4年春に首位打者。09年のアジア選手権とW杯で日本代表主将。1㍍75、75㌔。右投げ左打ち。