12日に閉幕した社会人野球のJABA長野大会は、かつてTDK千曲川を率いた佐藤康典監督が指揮するTDK(秋田)が初優勝を飾り、10月末に開幕する日本選手権切符を獲得した。7月末の都市対抗を制した三菱重工East(神奈川)ら強豪が集結した中、今季からENEOS(神奈川)にヘッドコーチ(HC)として復帰した岡谷南出身の宮沢健太郎さんも雄姿を披露し、日本一奪回に向け本格的なスタートを切った。
初の夏開催となった長野大会に、懐かしい顔が戻ってきた。ENEOSの宮沢HCだ。高校時代に甲子園とは縁がなく一般入試で明大に進むと最終学年でスタメンに名を連ねて主将を務め、社会人入り。11年間の現役生活のうち、大久保秀昭監督に請われて7年間の長きにわたって主将の重責を担った。抜群のリーダーシップで08年に都市対抗制覇、12年は都市対抗と日本選手権の2冠に貢献。堅い守りの三塁手で6,7番が多かった打撃では無類の勝負強さを発揮し、戦後の社会人野球で唯一の都市対抗、日本選手権、スポニチ大会の3大大会で首位打者を獲得。劣勢でも四球をもぎ取って流れを変えるなど、確かな存在感を放った。
13年限りで引退してからは社業に専念。支店の営業部門からスタートし、近年は同期入社組に追いつき、本社でグループリーダーを支える中間管理職のチームリーダーとして働いていた。「もう一回やりたい。声がかかったら戻りたい」。野球への思いが膨らんでいたところに、慶大監督を経て19年から再び指揮を執っていた大久保監督のラブコール。家族の了解を取り付けて今年1月1日付で野球部に復帰、用意された肩書はHCだった。
「選手の顔も知らない。野球も進化していて、戸惑いがあった」中で戻ったチーム。打線の看板だった渡会隆輝がDeNA入り、山崎錬が引退するなど変革期を迎えていた。大久保監督と二人のコーチの間に入り、新たな戦い方の構築に着手。2月のキャンプから「距離を見極めて、人を見ながら伝える方法を続けてきた」という。都市対抗は西関東第2代表で5年連続出場を果たすも2回戦で敗れ、頂点に立ったのは西関東第1代表の三菱重工East(神奈川)。悔しい結果を受けて臨んだ長野大会から若手に切り替え、宮沢HCは攻撃の指揮を任された。大久保監督にならってベンチ最前列でサインを出し、イニング間に気づいたところを手帳にメモした。ベンチからは絶えず「つないでつないで全員で」「守備から守備から」と声が飛んだ。甲子園の優勝経験者、学生日本代表らアマ球界のエリートがそろうが、1個の進塁、1個のアウトにこだわりながら「泥臭く、ガッツがあって、諦めない」スタイルを共有。「チームとして結果を残したい」と挑んだが、4強止まりで長野大会は終了。9月の日本選手権最終予選が次のターゲットとなった。
復帰に際し選んだ背番号は現役時代の「7」と離れていた10年間を合わせた「70」だ。ユニホームの左袖に都市対抗の優勝回数を示す12個の星が並ぶ。「勝ちを求めていく中でどう盛り立てていくか。野球で培ったもの、仕事で培ったものを還元したい」。来年夏、東京ドームで22年以来の日本一に輝くため社会人屈指の名門を支える“中間管理職″が奮闘を続けていく。
◆宮沢健太郎(みやざわ・けんたろう)1980年(昭55)7月26日生まれ、岡谷市出身の44歳。明大4年春に首位打者。09年のアジア選手権とW杯で日本代表主将。1㍍75、75㌔。右投げ左打ち。